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2017年2月 7日 (火)

本人の性格や特性を知っておくことの重要性(父の話)

父に老人性難聴があることは、このブログでも何度か書いています。



老人性難聴と診断を受けたのは76歳。

今から30年前、母が日常生活の中で父の聞こえにくさを感じ、

父も合意して「聞こえの相談」をしたことがきっかけだったようです。

(私は近くに住んでいなかったので、母からの当時の報告です)



父は、その後ずっと補聴器を使ってきました。

水戸に転居後は、アパートの近くに補聴器のメンテナンスをしてくださるお店があり、

父は定期的に聴覚検査も含め、補聴器のメンテナンスに行っていました。



特に聴覚的には進行はしていないようでしたが、

適正なメンテナンスを受けていても、

父にとって、補聴器の使用が聴き取りやすさに繋がる感じがしないのか、

80歳を過ぎた頃からだんだん使わないようになりました。



そんな頃から、私も父と会話をしていると「補聴器の使用の有無」よりも、

父のコミュニケーションには別の観点があることがわかってきました。



元々、父は同時に複数のことをするのは苦手でした。



それに「聴こえ難さ」も重なって、

何かをしている時に話しかけると通じにくいということも多かったです。



父自身も

「何かをしている時に話しかけられると訳がわからなくなるから話かけないでほしい」と

よく言っていました。



歩行が不安定になってからは、歩いている時は特に話しかけられるのを嫌がりました。



こけないように神経を集中させ、慎重に歩いている時に声をかけられると

歩行バランスを崩されるから「怖い」と言っていました。



また「複数で会話をしている輪の中にいると声が聴き取りにくい」

「自分に話しかけられているのかどうかわからない」とも言っていました。



聴こえないために返答できなかったり、

会話に入れないためにまわりの人たちに無愛想に感じられたり、

時には、相手に無礼なように受け止められたりすることが辛く、

「相手やまわりの人たちへの申し訳なさがストレスにもなる」と言っていました。



そのため、家族での歓談はまだ良いとしても、

他の人たちが混ざった「歓談の場は好まない」とも言っていました。



父からそんな話をよく聞いていたので、

私は父と話をする時には、父がストレスを感じないようや工夫や配慮をしてきました。



2016年6月27日 付のブログに書いたことは、

長年の工夫や配慮の積み重ねを通して、

父との円滑なコミュニケーションの有効な手立てとして

父と私の「日常生活での当たり前の関わり」になっていった経緯でもあります。



コミュニケーションは双方向

http://yamaneko-kousakusitu.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-ae39.html



父は昨年の脳梗塞再発から車いすユーザーに変わり、日課も変わりました。



集団生活は好まないので通所介護は受けず、

訪問介護や訪問リハやマッサージだけを受け、日中は居室で過ごしていた生活から、

住宅内のデイサービスに通所し、週2回の入浴と共に、

毎日、昼食と夕食はデイサービスで摂り、

曜日によって時間帯は多少違うものの、デイサービスの部屋で過ごす生活に変わりました。



そんな生活に変わってから約1年。



今の父はデイサービスへの通所日課も父なりに受け入れ、

父の自然な日課として定着してきているように感じています。



デイサービスでは曜日や時間帯によって活動日課も組まれていますが、

基本的に自由参加なので、みんなと一緒に何かをやるということが苦手な父は

食事時間を除いては、自分の座席で過ごしています。



きっとそんな緩やかな過ごし方ができることが父の安心感にも繋がり、

デイサービスの部屋で過ごすことも定着してきているのだと思います。



1月、要介護認定の更新のため認定調査を受け、「要介護5」の認定結果が出ました。

それに伴う「サービス担当者会議」の前に、父から今の気持ちや希望の聴き取りをしました。



父と大事な話をする時には、いつも以上の工夫や配慮が必要です。



ホワイトボードに「今から話をしたい」と筆談で伝え、父に心積もりをしてもらいました。

点いていたテレビを消す了解も得て、会話に集中できる環境を整えて、

ゆっくりと話を始めました。



父は事前に、こうして今やることを視覚的に提示して明確化すると認識しやすく、

心積もりができると、会話にも集中でき、応答しやすくなるのです。



「お父ちゃんの気持ち」「お父ちゃんの希望」とホワイトボードに書いて示し、

筆談しながら、一つずつ確認していきました。



父の一つめの希望は「歩けるようになりたい」ということでした。



昨年の脳梗塞再発から1年、いろんなことがありましたが、

「歩けるようになりたい」という父の希望は今も変わらないことがわかりました。

その想いがあるから「リハビリも頑張っている」とのことでした。



現状の身体状態では、自助具を使ったとしても歩くことは難しい予後ですが、

父に「歩けるようになりたい」という気持ちがあることを知り、とても嬉しく思いました。



できなくなることが増え、不調が増えると、マイナス思考になることもありますが、

どれだけ落ち込んでも、どれだけ時間がかかっても、

今まで同様、父は「浮上する力」までは消えないのです。



訪問リハのPTさんたちともよく話していることですが、

父は生き方の基本として「諦めない」という意思が強いのです。



父の「生きる希望」とも言える強い意思に、

ことあるたびに、私たちの方が支えられてきました。



この1年、身体状況も生活スタイルもがらっと変わったにも関わらず、

「父らしい生き方」は何も変わっていないことがわかり、感動しました。



父の二つめの希望は「もう少し喋れるようになりたい」ということでした。



全くことばが出ないわけではありませんが、

脳梗塞の後遺症として「構音障害」があるために出にくくなった現状が辛く、

「ことば」で伝えたい想いが伝えられない悔しさがあるのだと思います。



生活上、介助してもらうことが増え、意思疎通がうまくいかないことは

ストレスになっているとのことでした。



そういうストレスがあるなら、嫌な想いをしていることもあるだろうと思いますが、

介助を受けていることに対してどんなふうに思っているかを問うと、

父の口から出たのは「満足」という一言でした。



はっきりとして力強いその一言には父の気持ちがこめられていて、

私は泣きそうになりました。



職員さんたちや私が父の意思や希望を確認するためにいろいろ工夫して

対応してくれていることはよくわかっているとのことでした。



父のストレスは、職員さんたちや私に対するストレスではなく、

身体の動きにくさや意思表示のしにくさなど、

自分自身へのもどかしさや辛さ、苦しさなのだとなのだということが

父の表情からもよく伝わってきました。



介助が増え、不調も増えている現状に対して心配ではないかということも問うと、

父の口から出たのは、自分自身のことにも母のことにも「安心」という一言でした。



「安心」という一言にも、父の気持ちがこめられていて、

職員さんたちや私たちの想いが父にはちゃんと伝わっているのだと思えて、

私もホッとしました。



「満足」も「安心」もたった一言のことばですが、

たくさん語らなくても、父の想いが充分伝わってくるメッセージでした。



娘の私に対しては本音が出せるので、ストレスが高まると怒ることもあります。

それでも、以前、訪問PTさんに聞いたことですが、父は私がいない時に、

「娘がよくしてくれているのはわかっているけど、怒ってしまう時がある。

感情が止められなくなって、いつも悪いなぁと思っている」と言っていたそうです。



私は父の想いや優しさはわかっているので、

心と裏腹に、イライラして怒りをぶつけてしまう父の辛さもよくわかります。

むしろ、苛立ちや怒りを心の中に押し込めずに、出してくれることが私には安心でした。



「怒られて嬉しい」というのは変な感じがするかも知れませんが、

怒れるようになることが父の「元気回復のバロメーター」でもあるので、

私の正直な気持ちです。



この1年間の身体状態の変化で、

職員さんたちに対して対応を嫌がったりすることも増えましたが、

そんな変化も、父が職員さんたちにも意思表示ができるようになったのだと

私は嬉しいこととして捉えています。

(対応しづらくさせていると思うので、職員さんたちには申し訳ない気持ちはありますが)



私に対しては素直に出せる苛立ちや怒りですが、

以前の父は「職員さんたちにはいろいろお世話になっているから、

不満や文句は言えない」と言っていたからです。



そんな父が、職員さんたちに対していろんな感情を出せるようになったのは、

職員さんたちを信頼し、安心できる存在だと思えるようになったからだと思います。



父の意思表示を「抵抗・拒否」と一面的に捉えてしまうと気づけないことです。



父の「もう少し喋れるようになりたい」という希望は、

辛さや苦しさの訴えだけでなく、嬉しい気持ちや感謝の気持ちも含め、

自分の気持ちや想いを、いわゆる「ことば」で伝えたいからなのだと思います。



60年近く娘として父と接してきて、

父は自分の気持ちをうまく表現できない不器用なところはありますが、

正直に生きてきた人です。



あらためて、父は今も昔と変わらず、優しく、意思が強く、

まわりの人たちに対する「感謝の気持ち」が本当に強いのだと思いました。



特に「ありがとう」は、母に対しても、私に対しても、誰に対しても

ずっとことばにして伝え続けてきた父なので、

頭を下げたり、片手を挙げたり、手を合わせたりするしぐさでも充分伝わりますが、

父は「ことばにして伝えたい」のだと思います。



どれだけ衰えても、父は父らしく生きていると感じ、とても嬉しく、感激しました。




2月3日、デイサービスで「豆まき」がありました。

父にも参加させてあげようかなと思い、父に伝えました。



日めくりの「2月3日」と「節分」「豆まき」と書いたホワイトボードを提示すると

父にしっかり伝わりました。



廊下には職員さんが扮する「赤鬼」と「青鬼」もいたので、

視覚的にも、より明確に伝わったようです。



デイサービスの部屋に行くと、みなさんが豆まきの準備をされていました。

その後、窓の外にいる「赤鬼」と「青鬼」に向かって、母たちが豆まきを始めました。



父も「マスに入った豆」をもらって、豆まきをするように伝えられましたが、

父には窓の外の鬼たちは見えず、

母たちの後ろ姿からは豆まきをしていることがわからず、

父は豆をまかずに食べ始めました^^;



実は、それは私の予想通りでした(*^_^*)



豆まきを終えた母が、父と場所を代わってくれました。

窓によじ登ってきた赤鬼の姿が見えると、父も1回だけ豆をまきました。



鬼が見えなくなると、父はまた食べ始めました。

食べ始めるとまわりの状況も見えなくなって、食べることに集中している様子でした。



豆が大好きだということもありますが、

美味しそうにポリポリと豆を食べている父を見て、

手元にある「マスに入った豆」は父にとって「豆まき用の豆」ではなく、

「食べる豆」なんだと思わず笑ってしまいました。



父の姿が微笑ましい様子に見えたのか、

まわりの人たちも温かい眼差しで見守ってくださっていました。




Photo_4  豆を食べている父


Photo  窓の下にいる赤鬼と青鬼


Photo_2  赤鬼と青鬼との記念写真

    母が手に持っているホワイトボードに注目!




こんな「豆まきの日のエピソード」からも、

父にとってストレスのない円滑なコミュニケーションをはかるためには

父の「聴こえと認識の実情を的確に把握しておくことの重要性」を再確認しました。



居室に比べると、視界に入るものの多さ、人の動き等々

デイサービスの部屋は圧倒的に情報過多の環境にあります。



しかも「視覚優位」の父にとっては、

そんな環境の中で、自分に向けられている声を聴くのはかなり難しいと思います。



反応がなく、聴こえていないのかと思って、

声を大きくしたり、何度も声をかけたりしても、届かないこともあると思います。



そんな時の父は「見ること」に意識が集中してしまっているので、

大声や繰り返しの声かけをわずらわしく感じて、怒るかも知れません。

私自身、過去にそういうことを経験してきています^^;



関わる側の伝達を的確に伝えるためには、

父の「聴く環境(認識できる環境)」を整えることが先決です。



父への呼びかけがちゃんと父に届いているのかを確認し、

関わる側に意識を向けさせた上で指示や伝達をしないと伝わりません。



こんな話を伝えた職員さんが、「三郎さんには『ご飯ですよ』と言うより、

配膳されたトレイを見せた方が伝わるってことですね」とおっしゃっていましたが、

まさしく「百聞は一見に如かず」のような感じです。



「聴く環境(認識できる環境)」を整え、父が認識したことを確認した上で、

実物の提示や筆談等で「視覚的な伝達」をするとより伝わりやすくなるのです。



言い換えると、関わる側がそうした工夫や配慮をして、

父が何をするのかが認識できると、父は動きやすくなるのです。





デイサービスの部屋の人が大勢いる環境の中で、

父が自分の意思を伝えることは簡単なことではありません。

特に、ことばを発することが難しい今の父にとってはなおさらです。



他の人たちが介助を受けている様子が視界に入っていれば、

人一倍気を使う性格の父は自分の意思の伝達は控えているだろうと思います。



伝える時も、聴き取る時も、関わる側がそんな父の性格や特性を把握し、

的確に対応していけたら、今よりもっと意思疎通がうまくいくようになるはずです。



そうすると、父も「ことばで伝えられなくても意思が伝わる実感」が持てるようになり、

今の父が抱えているストレスも減っていくのではないかなと思います。



「豆まきの日のエピソード」のようななにげない日常の中にも

人と関わる時に忘れてはいけない配慮や工夫のヒントがあります。



ブログに繰り返し書いていることですが、

父も母も私に大事なことを教え続けてくれています。

心から感謝しています。



これからも、日々の学びを活かして関わっていこうと思います。

いろいろ楽しみながら…(^^)



母は父と一緒に豆まきに参加できたことが嬉しかったようです。

赤鬼と青鬼と撮った写真は私にとっても良い記念になりました。



またひとつ年を重ね、嬉しい学びを重ねられた節分の日となりました。

  

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