介護

2017年2月 7日 (火)

本人の性格や特性を知っておくことの重要性(父の話)

父に老人性難聴があることは、このブログでも何度か書いています。



老人性難聴と診断を受けたのは76歳。

今から30年前、母が日常生活の中で父の聞こえにくさを感じ、

父も合意して「聞こえの相談」をしたことがきっかけだったようです。

(私は近くに住んでいなかったので、母からの当時の報告です)



父は、その後ずっと補聴器を使ってきました。

水戸に転居後は、アパートの近くに補聴器のメンテナンスをしてくださるお店があり、

父は定期的に聴覚検査も含め、補聴器のメンテナンスに行っていました。



特に聴覚的には進行はしていないようでしたが、

適正なメンテナンスを受けていても、

父にとって、補聴器の使用が聴き取りやすさに繋がる感じがしないのか、

80歳を過ぎた頃からだんだん使わないようになりました。



そんな頃から、私も父と会話をしていると「補聴器の使用の有無」よりも、

父のコミュニケーションには別の観点があることがわかってきました。



元々、父は同時に複数のことをするのは苦手でした。



それに「聴こえ難さ」も重なって、

何かをしている時に話しかけると通じにくいということも多かったです。



父自身も

「何かをしている時に話しかけられると訳がわからなくなるから話かけないでほしい」と

よく言っていました。



歩行が不安定になってからは、歩いている時は特に話しかけられるのを嫌がりました。



こけないように神経を集中させ、慎重に歩いている時に声をかけられると

歩行バランスを崩されるから「怖い」と言っていました。



また「複数で会話をしている輪の中にいると声が聴き取りにくい」

「自分に話しかけられているのかどうかわからない」とも言っていました。



聴こえないために返答できなかったり、

会話に入れないためにまわりの人たちに無愛想に感じられたり、

時には、相手に無礼なように受け止められたりすることが辛く、

「相手やまわりの人たちへの申し訳なさがストレスにもなる」と言っていました。



そのため、家族での歓談はまだ良いとしても、

他の人たちが混ざった「歓談の場は好まない」とも言っていました。



父からそんな話をよく聞いていたので、

私は父と話をする時には、父がストレスを感じないようや工夫や配慮をしてきました。



2016年6月27日 付のブログに書いたことは、

長年の工夫や配慮の積み重ねを通して、

父との円滑なコミュニケーションの有効な手立てとして

父と私の「日常生活での当たり前の関わり」になっていった経緯でもあります。



コミュニケーションは双方向

http://yamaneko-kousakusitu.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-ae39.html



父は昨年の脳梗塞再発から車いすユーザーに変わり、日課も変わりました。



集団生活は好まないので通所介護は受けず、

訪問介護や訪問リハやマッサージだけを受け、日中は居室で過ごしていた生活から、

住宅内のデイサービスに通所し、週2回の入浴と共に、

毎日、昼食と夕食はデイサービスで摂り、

曜日によって時間帯は多少違うものの、デイサービスの部屋で過ごす生活に変わりました。



そんな生活に変わってから約1年。



今の父はデイサービスへの通所日課も父なりに受け入れ、

父の自然な日課として定着してきているように感じています。



デイサービスでは曜日や時間帯によって活動日課も組まれていますが、

基本的に自由参加なので、みんなと一緒に何かをやるということが苦手な父は

食事時間を除いては、自分の座席で過ごしています。



きっとそんな緩やかな過ごし方ができることが父の安心感にも繋がり、

デイサービスの部屋で過ごすことも定着してきているのだと思います。



1月、要介護認定の更新のため認定調査を受け、「要介護5」の認定結果が出ました。

それに伴う「サービス担当者会議」の前に、父から今の気持ちや希望の聴き取りをしました。



父と大事な話をする時には、いつも以上の工夫や配慮が必要です。



ホワイトボードに「今から話をしたい」と筆談で伝え、父に心積もりをしてもらいました。

点いていたテレビを消す了解も得て、会話に集中できる環境を整えて、

ゆっくりと話を始めました。



父は事前に、こうして今やることを視覚的に提示して明確化すると認識しやすく、

心積もりができると、会話にも集中でき、応答しやすくなるのです。



「お父ちゃんの気持ち」「お父ちゃんの希望」とホワイトボードに書いて示し、

筆談しながら、一つずつ確認していきました。



父の一つめの希望は「歩けるようになりたい」ということでした。



昨年の脳梗塞再発から1年、いろんなことがありましたが、

「歩けるようになりたい」という父の希望は今も変わらないことがわかりました。

その想いがあるから「リハビリも頑張っている」とのことでした。



現状の身体状態では、自助具を使ったとしても歩くことは難しい予後ですが、

父に「歩けるようになりたい」という気持ちがあることを知り、とても嬉しく思いました。



できなくなることが増え、不調が増えると、マイナス思考になることもありますが、

どれだけ落ち込んでも、どれだけ時間がかかっても、

今まで同様、父は「浮上する力」までは消えないのです。



訪問リハのPTさんたちともよく話していることですが、

父は生き方の基本として「諦めない」という意思が強いのです。



父の「生きる希望」とも言える強い意思に、

ことあるたびに、私たちの方が支えられてきました。



この1年、身体状況も生活スタイルもがらっと変わったにも関わらず、

「父らしい生き方」は何も変わっていないことがわかり、感動しました。



父の二つめの希望は「もう少し喋れるようになりたい」ということでした。



全くことばが出ないわけではありませんが、

脳梗塞の後遺症として「構音障害」があるために出にくくなった現状が辛く、

「ことば」で伝えたい想いが伝えられない悔しさがあるのだと思います。



生活上、介助してもらうことが増え、意思疎通がうまくいかないことは

ストレスになっているとのことでした。



そういうストレスがあるなら、嫌な想いをしていることもあるだろうと思いますが、

介助を受けていることに対してどんなふうに思っているかを問うと、

父の口から出たのは「満足」という一言でした。



はっきりとして力強いその一言には父の気持ちがこめられていて、

私は泣きそうになりました。



職員さんたちや私が父の意思や希望を確認するためにいろいろ工夫して

対応してくれていることはよくわかっているとのことでした。



父のストレスは、職員さんたちや私に対するストレスではなく、

身体の動きにくさや意思表示のしにくさなど、

自分自身へのもどかしさや辛さ、苦しさなのだとなのだということが

父の表情からもよく伝わってきました。



介助が増え、不調も増えている現状に対して心配ではないかということも問うと、

父の口から出たのは、自分自身のことにも母のことにも「安心」という一言でした。



「安心」という一言にも、父の気持ちがこめられていて、

職員さんたちや私たちの想いが父にはちゃんと伝わっているのだと思えて、

私もホッとしました。



「満足」も「安心」もたった一言のことばですが、

たくさん語らなくても、父の想いが充分伝わってくるメッセージでした。


Photo  想いの確認に使ったホワイトボード



娘の私に対しては本音が出せるので、ストレスが高まると怒ることもあります。

それでも、以前、訪問PTさんに聞いたことですが、父は私がいない時に、

「娘がよくしてくれているのはわかっているけど、怒ってしまう時がある。

感情が止められなくなって、いつも悪いなぁと思っている」と言っていたそうです。



私は父の想いや優しさはわかっているので、

心と裏腹に、イライラして怒りをぶつけてしまう父の辛さもよくわかります。

むしろ、苛立ちや怒りを心の中に押し込めずに、出してくれることが私には安心でした。



「怒られて嬉しい」というのは変な感じがするかも知れませんが、

怒れるようになることが父の「元気回復のバロメーター」でもあるので、

私の正直な気持ちです。



この1年間の身体状態の変化で、

職員さんたちに対して対応を嫌がったりすることも増えましたが、

そんな変化も、父が職員さんたちにも意思表示ができるようになったのだと

私は嬉しいこととして捉えています。

(対応しづらくさせていると思うので、職員さんたちには申し訳ない気持ちはありますが)



私に対しては素直に出せる苛立ちや怒りですが、

以前の父は「職員さんたちにはいろいろお世話になっているから、

不満や文句は言えない」と言っていたからです。



そんな父が、職員さんたちに対していろんな感情を出せるようになったのは、

職員さんたちを信頼し、安心できる存在だと思えるようになったからだと思います。



父の意思表示を「抵抗・拒否」と一面的に捉えてしまうと気づけないことです。



父の「もう少し喋れるようになりたい」という希望は、

辛さや苦しさの訴えだけでなく、嬉しい気持ちや感謝の気持ちも含め、

自分の気持ちや想いを、いわゆる「ことば」で伝えたいからなのだと思います。



60年近く娘として父と接してきて、

父は自分の気持ちをうまく表現できない不器用なところはありますが、

正直に生きてきた人です。



あらためて、父は今も昔と変わらず、優しく、意思が強く、

まわりの人たちに対する「感謝の気持ち」が本当に強いのだと思いました。



特に「ありがとう」は、母に対しても、私に対しても、誰に対しても

ずっとことばにして伝え続けてきた父なので、

頭を下げたり、片手を挙げたり、手を合わせたりするしぐさでも充分伝わりますが、

父は「ことばにして伝えたい」のだと思います。



どれだけ衰えても、父は父らしく生きていると感じ、とても嬉しく、感激しました。




2月3日、デイサービスで「豆まき」がありました。

父にも参加させてあげようかなと思い、父に伝えました。



日めくりの「2月3日」と「節分」「豆まき」と書いたホワイトボードを提示すると

父にしっかり伝わりました。



廊下には職員さんが扮する「赤鬼」と「青鬼」もいたので、

視覚的にも、より明確に伝わったようです。



デイサービスの部屋に行くと、みなさんが豆まきの準備をされていました。

その後、窓の外にいる「赤鬼」と「青鬼」に向かって、母たちが豆まきを始めました。



父も「マスに入った豆」をもらって、豆まきをするように伝えられましたが、

父には窓の外の鬼たちは見えず、

母たちの後ろ姿からは豆まきをしていることがわからず、

父は豆をまかずに食べ始めました^^;



実は、それは私の予想通りでした(*^_^*)



豆まきを終えた母が、父と場所を代わってくれました。

窓によじ登ってきた赤鬼の姿が見えると、父も1回だけ豆をまきました。



鬼が見えなくなると、父はまた食べ始めました。

食べ始めるとまわりの状況も見えなくなって、食べることに集中している様子でした。



豆が大好きだということもありますが、

美味しそうにポリポリと豆を食べている父を見て、

手元にある「マスに入った豆」は父にとって「豆まき用の豆」ではなく、

「食べる豆」なんだと思わず笑ってしまいました。



父の姿が微笑ましい様子に見えたのか、

まわりの人たちも温かい眼差しで見守ってくださっていました。




Photo_4  豆を食べている父


Photo  窓の下にいる赤鬼と青鬼


Photo_2  赤鬼と青鬼との記念写真

    母が手に持っているホワイトボードに注目!




こんな「豆まきの日のエピソード」からも、

父にとってストレスのない円滑なコミュニケーションをはかるためには

父の「聴こえと認識の実情を的確に把握しておくことの重要性」を再確認しました。



居室に比べると、視界に入るものの多さ、人の動き等々

デイサービスの部屋は圧倒的に情報過多の環境にあります。



しかも「視覚優位」の父にとっては、

そんな環境の中で、自分に向けられている声を聴くのはかなり難しいと思います。



反応がなく、聴こえていないのかと思って、

声を大きくしたり、何度も声をかけたりしても、届かないこともあると思います。



そんな時の父は「見ること」に意識が集中してしまっているので、

大声や繰り返しの声かけをわずらわしく感じて、怒るかも知れません。

私自身、過去にそういうことを経験してきています^^;



関わる側の伝達を的確に伝えるためには、

父の「聴く環境(認識できる環境)」を整えることが先決です。



父への呼びかけがちゃんと父に届いているのかを確認し、

関わる側に意識を向けさせた上で指示や伝達をしないと伝わりません。



こんな話を伝えた職員さんが、「三郎さんには『ご飯ですよ』と言うより、

配膳されたトレイを見せた方が伝わるってことですね」とおっしゃっていましたが、

まさしく「百聞は一見に如かず」のような感じです。



「聴く環境(認識できる環境)」を整え、父が認識したことを確認した上で、

実物の提示や筆談等で「視覚的な伝達」をするとより伝わりやすくなるのです。



言い換えると、関わる側がそうした工夫や配慮をして、

父が何をするのかが認識できると、父は動きやすくなるのです。





デイサービスの部屋の人が大勢いる環境の中で、

父が自分の意思を伝えることは簡単なことではありません。

特に、ことばを発することが難しい今の父にとってはなおさらです。



他の人たちが介助を受けている様子が視界に入っていれば、

人一倍気を使う性格の父は自分の意思の伝達は控えているだろうと思います。



伝える時も、聴き取る時も、関わる側がそんな父の性格や特性を把握し、

的確に対応していけたら、今よりもっと意思疎通がうまくいくようになるはずです。



そうすると、父も「ことばで伝えられなくても意思が伝わる実感」が持てるようになり、

今の父が抱えているストレスも減っていくのではないかなと思います。



「豆まきの日のエピソード」のようななにげない日常の中にも

人と関わる時に忘れてはいけない配慮や工夫のヒントがあります。



ブログに繰り返し書いていることですが、

父も母も私に大事なことを教え続けてくれています。

心から感謝しています。



これからも、日々の学びを活かして関わっていこうと思います。

いろいろ楽しみながら…(^^)



母は父と一緒に豆まきに参加できたことが嬉しかったようです。

赤鬼と青鬼と撮った写真は私にとっても良い記念になりました。



またひとつ年を重ね、嬉しい学びを重ねられた節分の日となりました。

  

2017年1月 6日 (金)

ゆったり、まったりの新年会

私たちが帰省で留守中、両親はH館の職員さんや入居者さんたちと年越し。

両親共に、特に変わりなく無事に新年を迎えることができてとても嬉しいです。



3日は両親の居室で、山ねこと4人でささやかな新年会をしました。

寒い時期ですし、両親共に外食も難しくなってきているので、

お正月っぽい演出と共に、簡単おせちを準備しての昼食会です。



父も母も、いつもと違うことに戸惑うことも多いので、

その日はデイの部屋ではなく、居室で昼食をとることを事前に伝え、

テーブルの移動やセッティングも経過を見せました。



テーブルにお正月っぽく赤いクロスやランチョンマットを敷き、

「迎春」と添えたちりめん細工の「酉」を置くと、父も母も状況が把握できたようでした。



中身はみんな出来合いのもので、種類も多くはないですが、

「重箱」はかなりインパクトがあったようで、2人とも「お正月やなぁ」と嬉しそうでした。



Img_9675 新年会の写真



年末に、2人が共通してリクエストしていたお餅だけは準備しませんでした。

喉につめると危ないからと納得してもらいました。



今のところ、咀嚼も嚥下も大きな問題はないのですが、

最近、むせることが増えているので、危険を避けました。



「お餅なし」でしたが、「おぜんざい」は好評で、

2人とも「美味しい、美味しい」と喜んでくれました。



意外に受けたのが「みかん」でした。

「珍しいわぁ」と言って食べていました。



職員さんに伺うと、普段は半分にカットして出されているようなので、

「丸のままのみかん」を珍しく感じたのでしょう。



やっぱり、お正月には「こたつ&みかん」は「定番」のようです(*^_^*)



本当にささやかなメニューでしたが、

ゆったり、まったりした昼食時間になりました。





帰省中に撮った義母や義弟たちの写真を見せると、

父は「お義母さんは元気やったか?」と聞きました。

いつもこうして義母のことも気にかけてくれるので嬉しいです。



新幹線の車中で撮った富士山の写真も見せました。

いろいろわからなくなっていることもありますが、

写真を見て、2人ともすぐに「富士山」と言ったので、

「富士山」の偉大さをあらためて感じました。



元気に迎えることができたお正月の記念にと写真を撮りました。



Photo 親子3人の記念写真



今年、父と私は「年男・年女」です。

私は3月に還暦です。

「酉」を父の頭に乗せると母は大笑いしていました。

Photo_3  「酉」を乗せて記念写真




今年もいろいろあるかも知れませんが、

こんなふうに一緒に笑い合える時間を少しでも多く持ちたいと思っています。



何やかんや言って、一番笑ってるのは私です(*^_^*)

2016年12月30日 (金)

父と母に感謝

この一年、いろいろありました。

苦しいこと、辛いこと、悲しいこと…。



一番辛い想いをしてきたのは父。

一番苦しい想いをしてきたのは母。



それでも、この一年を笑顔で終われそうなのは、父と母の底力なのだと思います。



どんなことがあっても、感謝の気持ちを忘れない。

自分を信じ、まわりの人たちを信じる。

まわりの人たちへの思いやりや気遣いを忘れない。

どんなことがあっても、誰も責めない、争わない。

どんなことがあっても、諦めない。

どんなに苦しくても、どんなに辛くても、自分の生き方をぶらさない。



父95歳、母90歳。

認知症になった今でも、生き方として、

父も母もずっと私に示し続けてくれています。



父と母は私にとって一番の「道標」です。



父も母もうまく意思表示できない時もあります。

そんな時には、誤解を生んでしまうような言動も出てしまいます。



そんな言動がまわりの人たちを困らせてしまっていることもあります。

でも、それは父と母の「SOS」なのです。



私は父と母の「SOS」をどれだけ早く、的確にキャッチできるかが問われます。



「SOS」をキャッチし、適切に対応していけば、

父も母も安心し、心穏やかに過ごすことができます。



私が子どもの頃から、父も母も、

人に助けを求めることは恥ずかしいことではないと伝え続けてくれました。

父も母も、私の「SOS」にいつも気づき、助けてくれました。



私がどんな小さな「SOS」でも敏感に感じ取れるのは

父と母が私をそんなふうに育ててくれたからだと思います。



父と母の娘であることを誇りに思います。



この一年、数え切れないくらいの「ピンチ」がありました。

それでも、どんな時も好転していきました。

時間がかかっても…。



父と母の生き方から学んだことを私自身がぶらさずにいられれば、

この先、どんなことがあってもきっと大丈夫だと信じています。




今日から山ねこの実家に帰省することを伝えると、父も母も言いました。

「山ねこによろしく伝えて」と。

「義母さんによろしく伝えて」と。



昨日の父と母はとても穏やかな笑顔でした。

私が心配しないで帰省できるように、そんな笑顔を見せてくれたのでしょう。



私がこうして穏やかに一年を終えられるのは両親のおかげです。

きっと良い年が迎えられると思います。


Img_9527  H館でのクリスマスコンサートの日に

  「三郎さんもみよさんも笑顔がいっぱい見られました」という連絡メールに添えられていた写真

2016年6月27日 (月)

コミュニケーションは双方向

1月の父の「左脳梗塞」は幸いにも、右マヒが軽症だったことと、

積極的に右手を使う父の気力と努力で順調に回復してきていましたが、

3月25日に「右脳梗塞」を再発しました。



その後、薬疹他、服薬の副作用の諸症状がいろいろ出てしまい、

体動時に上肢の使いにくさも出てしまいました。

それでも、父なりにどうすれば痛くなく、うまく使えるかを探っていました。



そんな様子をみて、諦めないで自分自身の病気に向き合っている父に、

職員さんたちも訪問リハビリやマッサージの担当者の方たちも私も励まされてきました。



それでも、辛いことは重なるもので、その後もあれこれ不調が出てしまい、

父も辛く、苦しい日々が続いています。



衰えていく体力や身体状態を受け入れていく苦悩の中にあっても

父の「自分らしく生きようとする力」に応えて、

娘として何ができるか問われ続けている毎日です。



脳梗塞の後遺症での構音障害で声が出にくかった時期もあり、

父からの発話は少なくなっています。



そんな状況でも、父は視線や表情、指差し、身振り・手振りなど

いろいろな方法で自分の意思や要求を表現してくれています。



それは、たとえ小さな動き(意思伝達のサイン)であっても、

私や職員さんたちや関係者がキャッチし、的確に対応することで、

「発話が少なくても意思が伝わる実感」を父自身が積み重ねてきたからだと思います。



父は難聴もありますが、元々、文字に書いたり、写真や実物を見せたりなど、

視覚的に情報を伝える方が認識しやすく、再確認もできるので、

私は何年も前から生活の中にそうした工夫をたくさん取り入れてきました。



そんな工夫の中のひとつが「伝達支援 絵カード」です。

居室や洗面所など必要な場所に置いてあります。


Photo  伝達支援 絵カード(居室用)



Photo_2  伝達支援 絵カード(洗面所用)



Photo_3  伝達支援 絵カード(浴室用)



この「絵カード」で使っているシンボルは「ドロップス(※)」と言って、

「ドロップレット・プロジェクトが開発、デザインしたシンボル集」の中から選んでいます。

※参照:ドロップレット・プロジェクト

http://droplet.ddo.jp/



「ドロップス」は介護の現場にはまだ浸透していないのか、

私が居室で使っていても、どなたも「ドロップス」はご存知ありませんでした。



訪問マッサージの担当者の方には、絵がとてもわかりやすくて、

他の方たちにも使えそうと言われました。

こうして「ドロップス」をご存じない分野の方たちに知っていただけると

使っている私も嬉しくなります。



余談になりますが、実は、このイラストの顔は男の子の顔として描かれていて、

使い始めた頃、父に使うには少し子どもっぽいかなと思っていました。



でも、「ドロップス」の存在を知らなかった友人のOTはこの絵を見て、「おじいさん」と言い、

「お父さんに似たイラストをよく見つけたね」と言いました。

そんな反応もなんだかとっても新鮮でした(^^)




「絵カード」は劣化を防ぐために「ラミネート加工」してあります。

以前は、選んだシンボルをA4サイズに分割印刷し、

A4サイズでラミネート加工後に分割して切り取り、角を丸く切っていました。



100円ショップで「カード&診察券サイズ」のラミネートフィルムを見つけてからは、

1枚ずつカードサイズでラミネート加工できるので、うんと楽になりました(*^^)v

ラミネート加工後に角を丸く切る作業もなくなりました(^^)


Photo_4  カード&診察券サイズのラミネートフィルム



また、この「絵カード」はホワイトボードから取り外しやすいように、

「マグネットメモクリップ」というのを使っています。

テープ式のマグネットより、少し浮くようにホワイトボードに取り付けられるので、

「絵カード」が取り外ししやすいのです。


Photo_5  マグネットメモクリップ



また、取り外した「絵カード」を戻す場所がわかるように

縮小した同じ絵をホワイトボードに貼ってあります。


Photo_6  取り外しの工夫





「ノート式のホワイトボード」は持ち運びもできて、立てて使うこともできます。


Photo_7  ノート式のホワイトボード




「リング式のクリアファイル」には伝達に必要な写真や予定を書いたものを入れて、

通院先などでも使えるようにしています。

父だけでなく、これらは母にも使っています。


Photo_8  伝達支援ノート



Photo_9  伝達支援ノートの使用例



Photo_10  伝達支援ノートの使用例



どれも、100円ショップのものですが、こういう使い勝手の良いものを見つけると

「ものづくり大好き人間」としては嬉しくなります(*^^)v



「楽チン」はものづくりには欠かせないキーワードですし、

作ったものを使う時にも「楽チン」であることは大事です(*^_^*)



訪問診療のドクターや通院先のドクターなども、

こうした伝達の工夫が父に有効なのをとても理解してくださっているので、

顔写真の撮影の依頼も快く受けてくださいます。



こうしたグッズは、元々、父と私のコミュニケーションのためのグッズでしたが、

父への有効な手立てとして、職員さんたちも積極的に使ってくださるようになりました。


Photo_11  予定掲示ボード保管場所



Photo_12  予定掲示ボード設置場所




こうして私が積み重ねてきた「絵カード」や「手書きメモ」など伝達の工夫が、

父にとっても「必要で、理解しやすい手立て」として生活の中で定着してきているからこそ、

職員さんたちや関係者の方たちも有効だと実感して使ってくださるのだと思います。



「ドロップス」のシンボルの中の笑顔のイラストを見るたび、

父との「コミュニケーション支援」として

「絵カード」や「手書きメモ」などを使い続けてきて良かったなぁと思います。



口頭伝達だけでは伝わり難いことや忘れてしまうようなことは

父が覚えておけるようにと、ある職員さんがこんな「貼り紙」をしてくださいました。


Photo_15  職員さんの手書きの貼り紙




今まで私がしてきた工夫を職員さんが真似てくださることがとても嬉しいです(*^_^*)



こうした表示をしていただけるのは、本人の実状をよく観察し、

本人がより理解しやすく、使いやすくなるために何ができるかということを

サポートする側が自分自身に問う感性があってこそだと思います。



職員さんたちと一緒にそういうことを考え合える環境にあることを嬉しく思います。



脳梗塞発症直後で、今よりことばがもっと出なかった頃に、

父は訪問介護に入ってくださった職員さんにお礼を言ったそうです。

訪問介護ノートにはそのことが書かれてありました。


Photo_14  「訪問介護ノート」の記録




どんな小さなことであっても、誰に対しても(私に対しても)

「ありがとう」とことばにすることは、父も母も昔から全く変わりません。

(父は「おおきに」と言います)



最近は「両手を合わせる」や「頭を下げる」ポーズで表わします。



そんな父や母の「ありがとう」のことばが私たちを勇気づけ、励ましてくれているのだと思います。



先日、父の入浴を介助してくださった職員さんが

「三郎さん、今日はありがとう」と言ってくださいました。



介助してくださる職員さんから父への「ありがとう」にも胸が熱くなりました。

こんなステキな職員さんたちがいることを本当に嬉しく思います。



「ありがとう」はみんなが幸せになれることばだということをあらためて感じています。



認知症があっても、自分のことを受け入れ、正しく理解してもらえることで、

父も母も安心できているのだなぁと痛感します。



「伝えようとする気持ち」と「受け止めて対応しようという気持ち」

「伝わる喜び」「伝えられる喜び」「理解できる喜び」…、

「コミュニケーションは双方向」だということを今さらながら実感している毎日です。



「双方向の良好なコミュニケーション」が「相互の安心感や信頼関係」に繋がり、

介助される人も介助する人も、安心し、楽になり、幸せになっていくのです。



父の脳梗塞発症以降、いろいろな対応に追われ、私も少し疲れが出てしまいましたが、

こうしてみなさんに支えられ、助けられ、励まされていることが癒しにもなっています。



「ありがとう」の想いとことば。

それさえあれば、人はどんな苦しい状況になっても好転していくのだと思います。



思うようにならない今の現実と闘っている父の心痛は計り知れませんが、

心のストレスは体調にも影響するので、

こうした配慮ある対応でストレスを少なくしていくことが私たちの務めだと思っています。



今日も1日の終わりに心からの「感謝の気持ち」をこめて、私も伝えたいと思います。

ありがとうございましたm(__)m

2016年3月21日 (月)

95歳になった父への想い

前回のブログ更新から2ヶ月も経ってしまいました(-_-;)


ホームページの更新がなかなかできないために始めたブログなのに

ブログの更新もだんだん遅れがちになってしまっています^_^;

でも、まぁ焦らず「ゆっくりペース」でやることにします(^.^)



今日の話題は父のことです。




前回のブログを書いた日(1月18日)の夕食時の父の様子に

私はとても「違和感」を感じました。


日中もベッドで寝ていることも多く、

起きて椅子に座っている時もウトウトしていることも多い父です。

高齢になれば、そういうものかも知れません^_^;


昼夜逆転はしていませんが、日中の睡眠時間が長い傾向は年々増え、

特に、覚醒状態が悪い時は、体動も悪く、転倒の危険も増えました。


職員さんたちや関係者の方たちとは、

父の日常生活の状態は「覚醒状態を指標にして」見守り、

介助等もそれに合わせてやっていくことを共通の対応としていました。




その日の夕食は、いつものように入浴(要介助)後でした。

ベッドでの長い午睡の後、起きて入浴するという流れなので、

夕食時は比較的覚醒状態は良く、時間はかかっても1人で食べています。




それが、その日はちょっと違ったのです。

お箸の操作ができにくく、唇や舌もあまり動かず、食べ物を上手く取り込めないのです。

私は直感的に「何か違う」と感じました。




でも、今まで、覚醒状態の悪い時はそういうことも時々あったので、

最後まで見守り、何とか食べ終えたのを見届けて帰宅しました。




翌朝も出向くと、遅めに起床した父が朝食を食べている時間でした。

覚醒状態は良くなかったですが、食事の様子は前日ほどではなく、

ゆっくりゆっくり食べていました。




胸騒ぎのような違和感をぬぐえないまま迎えた2日め(1月20日)の朝、

この日の朝食時は様子が違いました。




違和感ではなく、「異変」を感じました。




食事の様子だけでなく、ろれつが回りにくく、

父自身も「喋りにくい」と言い、何か変だと感じているようでした。


その日はちょうど午前中に訪問診療が入っていたので、

ドクターが訪館されるのを待ち、諸々の異変を伝えることにしました。


ただ、ドクターの前での父の様子は普段と特に変わらず、

大好きなドクターに満面の笑顔を見せ、嬉しそうに会釈をし、診察を受けていました。




私は気になっていた父の違和感と異変をドクターに伝え、

紹介状を書いていただいて、脳神経科を受診することになりました。

去年の12月の初めに転倒し、その時に受診していた病院です。



その時の検査結果では、転倒による脳の異常はなかったので、

その時の画像と比較できれば、現状の原因もわかるだろうとのことでした。




病院では、私が父の諸症状を書いた以下のメモを元にドクターにお話し、問診を受けました。

-----------------------------

・右手の操作性の悪さ (箸がうまく使えず、食べものを掴めない)

・口唇周囲の動きの悪さ (開口傾向、食べものを口に運んでも奥に取り込めず、こぼしてしまう)

・右上腕の動きの悪さ(こわばりのような感じ)

・両手共に握力は強いが、長く維持できない(すぐに力が抜ける感じ)

・発話の出にくさ(話そうとはするが、ことばが出てきにくい)

・発音の不明瞭さ(会話の流れの中で推測できる時とできない時がある)

・体動の悪さ、動き出すまでに時間がかかる

・起居動作時の保持力の低下(姿勢が崩れてしまう)

・右足が出にくい

・20日の午前中のよだれの多さ(服の胸元がビショビショに濡れるくらい)

-----------------------------


問診後のMRI検査で「脳梗塞」と診断を受け、

私が伝えた諸症状は「左の脳梗塞によるもの」と言われました。



画像の状態から「発症は1週間以内」の脳梗塞で、

「構音障害」と「軽度の右マヒ」があると言われました。



結果、入院にはならず、2週間の内服薬の処方での経観の指示と共に、

歩行は危険なため、車椅子利用の指示も出ました。



父には受診することになった経緯を説明して受診したものの、

車椅子に乗せられていることにも、急に要介助状態になったことにも不安な様子で、

苛立ちも見えました。


父の心痛はわかりましたが、それを完全におさめてあげることもできず、

その日は後ろ髪を引かれる想いで帰宅しました。




翌日の「訪問リハ」では、父は車椅子から立ち上がろうとし、テーブルを支えに歩こうとしました。



そんな父の様子を観て、私は直感しました。

父は担当のPTさんの前で、自分の今の状態を確認したいのだということを。




そのPTさんも同じように感じてくださいました。



父に「歩けそう?」と聞くと、父は少し悲しそうに首を振りました。



「訪問リハ」が終わった後、私は自分を信じ、父を信じ、思い切って、父に話しました。



父は紙に書いた私の文字を読んで、言いました。

「脳梗塞か…」「大阪でなった病気やな…」と。



Photo   手書きメモ1


Photo_2   手書きメモ2


Photo_3   手書きメモ3



その後も、私が書く文字を真剣に見ていました。



父はたどたどしい口調で「なんでわかったんや?」と聞きました。




私は、父が右手足の違和感やことばがうまく喋れないことなどを私に訴えていたこと、

それを訪問診療のドクターに伝えたこと、

ドクターから受診を勧められ、脳の検査を受けたこと等、流れを追って説明しました。



そうすると、父の表情は変わり、心の霧が晴れたような様子を見せました。

「脳梗塞」ということばで、現状のすべてが理解できたのです。



父の不安感や苛立ちは、原因もわからず状態が変わったことだったのです。



受診前、父には受診する経緯は伝えてはいましたが、

父は物事を把握するのに、とても時間がかかります。

しかも、必ず父にわかりやすいように予告や説明をしていても、

父なりの理解のしかたや手順があるので、

現状を正しく把握し、納得するまでは時間が必要なのです。



そういう意味では、脳梗塞であることを伝えていなかった時間は

父にとっては訳がわからず、見通しも持てず、不安だったのです。



その日の夕食から、父は少しマヒのある右手も使い、自分から積極的に食べ始めました。



Photo_4    脳梗塞発症後の食事の様子






自分自身の状況を把握し、納得できたことで父は変わりました。

そんな父を見て、私はまだまだ父を理解し切れていないことを知りました。



去年の5月に認知症の診断を受け、少しずつ認知症の症状も出ていますが、

「自分のことを正しく理解したい」

「理解した上で、できることはやりたい」という

今までの父の考え方、生き方は何も変わらないのだということを。



父を担当していただいてから4年になる訪問リハのPTさんは

そんな父を「竹のような人」と言ってくださいます。



転倒して足腰を痛めた時であっても、日によってあまり乗り気でない時であっても、

「訪問リハ」は自分自身にとって大切な時間と思って受け続け、

諦めることなく、自分自身と向き合っている父だからです。



父にはそういう強い意思があるのがわかるからこそ、

その日の体調によって、リハのメニューは変えたとしても、

担当者としてもスタンスをぶらさず対応できると言ってくださいます。


Photo_5    担当PTさんと外気浴






95歳になる2月の誕生日の前に、父のサービス担当者会議がありました。



会議の前に、私は父に「一番辛いこと」と「希望」を聴き取りました。

父は「歩けないことが辛く、歩けるようになりたい」と言いました。

かみ締めるように言った「歩けるようになりたい」という父のことばは

父の「生きる希望」なのだと私は思いました。



脳梗塞の発症で身体状態は大きく変わりましたが、

父の「自分の意思で自分らしく生きたいという想い」を尊重して、

私は私にできることを精一杯して、助けていきたいと思いました。



若い頃には生きていることも辛くなるようなことも経験し、

今までたくさんの苦労をしてきた父です。



娘として、すべてを知っているわけではありませんが、

「自分らしく生きる」ことに一本、筋が通っているような父です。



サービス担当者会議では、父の想いを娘としてしっかり伝え、

関係者の方たちと共にとても有意義な話し合いができました。



みなさん、父の特性をよく理解してくださっているので、

それぞれの立場で、父に何ができるかを真剣に考えてくださいました。



人生の大先輩として、父の生き方に教えられることは

まだまだたくさんあるのだとあらためて痛感しています。



動き難い身体がもどかしく、コミュニケーションがうまくとれず、

イライラしたりすることはあります。

職員さんたちからも、そんな父の様子が時々伝えられています。



それだけに、「心のアンテナ」を今まで以上に高くして、

父の心の声を聴きながら、父のストレスを少しでも減らし、

父が安心して穏やかな日々を送れるようにしていくことが、

今、一番大事なことだと思っています。




Photo_6    カレンダーに貼るために見せたメモをおでこに貼った父


Photo_7   家族のように父を想ってくださっている施設長さんと



Photo_8  散歩(95歳の誕生日に)


Photo_9  満開の梅を見上げて




発症から約2ヶ月。


父は幸いにもマヒが軽症だったこともあり、

父自身の頑張りと関係者の方たちの献身的な対応で、順調に回復してきています。



たくさんの方たちへの感謝の気持ちを心に留めながら、

これから、父との生活を少しずつ綴っていこうと思います。

2015年12月14日 (月)

言動の理由や誘因、背景を探る視点

あるきっかけがあってfacebookに登録して2年10ヶ月。

当時も今もまだまだfacebookには慣れないところもあり、

facebook友だちも限定している現状です。

私自身がストレスにならないためのスタンスを持っておくことは

とても大事な「自分支援」だと考えています。



それでも、facebookを通じて、友人・知人から届くメッセージは有益な情報も多く、

私自身の生活に役立っていることも多いです。



そんな中、知人が紹介していた記事にとても共感しました。

特に、以前からずっと気になっていたことでもあり、

私自身の想いにも重なり、私の想いが的確に語られているように感じて、

読み進めながら、「そうそう!!」と思わず声も出てしまいました(^^)



「拒否」という言葉をやめませんか ~認知症介護現場から~

http://ninchisho-online.com/archives/14268/




「拒否」に限らず「不穏」や「奇行」ということばを初めて聞いた時から、

私はずっと違和感を感じてきました(ー ー;)



介護現場では当たり前のように使われていることばのようですが、

家族として、どうしてもその違和感が拭えず、今に至っています。



この記事を読み、私がずっと感じてきた違和感の理由がわかりました。



両親が高齢になり、特に、認知症になってから、両親との日々の関わりの中で、

「言動には必ず理由がある」「きっかけとなる誘因がある」…という

「理由や誘因、背景を探る視点」は、以前にも増して、私にとって重要になりました。



この視点は、長年、障害のある子どもたちに関わっている経験も影響していると思います。



子どもたちの「問題行動」と呼ばれる言動を「問題」として捉えるのではなく、

理由や誘因、背景を探る視点で捉え、関わる側が関わり方の振り返りをして、

実状を正しく捉え直し、対応していかないと、子どもたちの辛さや困難さは改善されません。



問題行動の捉え方 氷山モデル 

http://www.ne.jp/asahi/autism/sally-tree/sub10001.htm




認知症になり、認識したり、記憶したりすることが難しくなり、

自分の想いを誰にでも伝わるように表現でき難くなっている両親を見ていると、

そんな子どもたちの辛さや困難さに共通するものを感じます。



言動の理由や誘因を探るには、本人の性格や考え方、生き方など、

本人が元々もっている背景をわかっていることは重要です。

本人を的確に捉え、正しく理解していないと、理由や誘因を探ることにも繋がりません。




娘として父と母のことをすべてわかっているとは言い切れませんが、

少なくても、私の年齢分、父と母と共に生きてきた年月の中で、

両親の性格や考え方、生き方はある程度把握できていると自負しています。



特に、父も母も、対外的に自分を飾ったり、取り繕ったりすることのない、

ある意味、自然体で生きてきた人たちなので、わかりやすいところもあるのです。



ただ、自然体というのは、良いことばかりではないこともあり、

「不器用さ」や「生き難さ」にも繋がっています。

真面目さや几帳面さも、時には「生き難さ」に繋がることもあり、

両親を客観的に見ていると「両親の辛さ」を感じることも多いです。

これは、両親だけでなく、私にも共通しているところでもありますが…^_^;




話が少し広がってしまいそうなので、話を戻します^_^;



認知症のある人たちは、脳の機能的な観点から「中核症状」「周辺症状」として

いろいろな言動が表れると言われています。

もちろん、そんな言動にも「誘因」はあり、

認知症についての教科書的なものにはいろいろなことが書かれています。



「誘因」というものがあると言っても、要介護認定の申請時や

要介護認定の有効期間の終了前に受ける「認定調査」での聴き取りの場でも

「拒否」「不穏」「奇行」などの言動の有無を問われます。



こういう聴き取りにも「誘因を問う視点」はないんだなぁと感じてきました(ー ー;)



両親の暮すH館でも「拒否」「不穏」「奇行」という報告はあっても、

それらの「理由や誘因、背景」の報告は少なく、

「言動の理由や誘因、背景を探る視点」が浸透していないように感じてきました(ー ー;)



この記事に書かれていることが、殆どの介護現場の実状であるなら、

現場で日々使われている「ことば」や「記録」等から見直していかないと

「理由や誘因、背景を探る視点」は浸透していかないのかも知れません。




要介護認定を受け、介護を受けていると、

月1回、担当ケアマネさんによる「モニタリング」というものがあります。



認定審査後の要介護認定結果を踏まえて、関係者が集まり「サービス担当者会議」も開かれます。



他にも、緊急に話し合いが必要なことが起きた場合は、

臨時で「サービス担当者会議」が開かれます。



私は両親を通じてしか、こうした会議の進められ方を知りませんが、

関係者の方たちが持ち合わせている情報をより具体的に交換し合い、

それぞれの観点からより良い意見交換をし合って、

より良い対応策を考える場として開かれるものだと私は捉えています。



私と山ねこは家族として、会議には必ず参加していますし、

私は家族の立場で、毎回、資料を作り、会議に臨んでいます。



個人的な資料ですが、

2014年7月、母の「サービス担当者会議」用に作ったものを紹介します。




参考資料1
http://homepage2.nifty.com/h_yamamoto/miyo/miyo_1.pdf

参考資料2
http://homepage2.nifty.com/h_yamamoto/miyo/miyo_2.pdf

参考資料3
http://homepage2.nifty.com/h_yamamoto/miyo/miyo_3.pdf




この日は、いつもの「サービス担当者会議」とは違い、

臨時で開かれた会議でもあり、家族として伝えたい想いもあったため、

作成資料は特別な形式になりました。





こういう資料の有無は別として、

会議の場で、集まってくださった関係者の方たちと共に、知恵を出し合い、

今後の対応策を考えていける環境にあることを私たちは幸せに感じています。




この記事に書かれているように、「拒否」を「本人の意志表示」という捉え方に変えて、

自分の関わり方を問う視点に変えていかなければ、

日々いろいろ起きるできごとに対する対応策も生み出せないと私は思います。



この記事は私自身への戒めとしても、あらためて、私の心に深く響きました。



両親から日々気づかされ、学び続け、教えられ続けている「大切なこと」を

今まで以上に心に留めて、

これからもぶれることなく両親と関わり続けていこうと思っています。



つい最近、とてもタイムリーなことに、H館の職員さんから

「現場で『言動の理由や誘因、背景を探る力』を育てていくにはどうしたらいいか」

「観察力や洞察力を高めるためにはどうしたら良いか」と問われました。



介護現場は人的にも、業務的にも、過酷な労働状況にあることを

H館の日常を見ていても痛感します。



そんな中でも、自分たちの資質を高めるためにできることを模索し、

実践していこうとされている職員さんたちがいます(*^_^*)



高齢者の人数が増え、社会の中でもいろいろ問われてしまう厳しい介護現場です。

そんな現場をより良い場にし、自分たちの資質を高めようとされている職員さんたちと共に、

私は家族という立場で、小さな歩みを積み重ねていきたいと思っています。



家族を含め、介護に関わる人たちがお互いを認め合い、信頼し合い、努力し合ってこそ、

明るい介護に繋がっていくと私は信じています(*^_^*)



両親も、私たちも、職員さんたちも、そして、他の利用者さんたちも…、

みんなが幸せになるために…

これからも私は私にできることをしていこうと思っています(*^^)v



「導き」というものがあるなら、この記事との出逢いは

今の私には偶然ではなく、必然だったのかも知れません(^^♪


とても良いタイミングでこの記事に出逢えました(*^_^*)

2015年9月20日 (日)

父と母の夏祭り

両親の暮らすH館にはデイサービスが併設されています。


母は人と関わり合うのが好きで、レクリエーションなども好きです。

そんな母なのでデイサービスに通うのを毎日楽しみにしています。



一方、父は人と関わり合うのはあまり好きではなく、元々集団行動を好みません。

難聴もあって声や音が聴き取り難く、

特に、大勢の人の中での会話が難しいこともあり、

デイサービスに通うことは希望しません。



父は1日2回の訪問介護、週2の訪問リハ、週2の訪問マッサージなど以外は、

居室でマイペースで過ごすのが日課です。

食事も居室で1人で食べています。



そんな父ですが、デイサービスの行事に誘ってもらうことはあります。



職員さんたちは父の気質もわかってくださっているので、無理強いはされません。

職員さんの中でも父にとって気心の知れた職員さんたちが誘ってくださったり、

食事の時間帯だけ誘ってくださったりなど、

父自身が参加したいという気持ちになるのを気長に待ってくださっています。

必ず参加しなくてはいけないということではなく、

本人の意思を尊重するスタンスでのお誘いなので、父も頑なにはならないのです。




2年前の敬老会だったかと思いますが、父は初めて参加して以来、

クリスマス会や夏祭りなどの行事だけは自然に参加するようになりました(^^)




H館は職員さんたちがお子さん連れでも働けるようになっているため、

夏休みのその日(8月25日)は朝から子どもたちが来ていて賑やかでした。



居室のドアは日中1人で過ごしている父の安全確認のために、

私が開けておいていただくようお願いしてあるので、

父は浴衣姿で廊下を行き来する子どもたちの姿が見えていました。

楽しそうな子どもたちの姿を見て、父は「今日はお祭りなんか?」と聞きました。



声がよく聴こえない分、「見える情報」はより鮮明に入ります。



普段と違う日課がある時には必ず予告し、見通しがもてるようにしていますが、

この日は私が予告する前に、

子どもたちの浴衣姿が父にとっての「夏祭りの予告」になりました。



食事の開始時間の前にデイの部屋への移動を促すと迷うことなく立ち上がり、歩き出しました。

満面の笑顔で歩く父に、通りすがりの職員さんたちも嬉しそうに声をかけてくださいました。


Photo_5  デイの部屋に向かう父



座席はいつものように出入り口付近に設定してくださっていました。

父の疲労度を考慮して歩行距離が短く、居室に戻りたくなった時に戻りやすい場所です。

父も母も落ち着けるところに座席が用意されていて良かったです。



デイでは、日頃から、座席の向き、同じテーブルのメンバーの組み合わせ等、

座席の配慮は母や他の利用者さんたちにもされています。



特に、行事の場合は日常と違うため、座席を含め環境設定はとても重要だと思います。

日頃からそうした配慮をされているからこそ、

父のように普段参加しない人たちが参加する時にもより良い配慮ができるのだと思います。




Photo_6  夏祭りの開始を待つ父(ちょっと緊張気味?)


I_2  食事中の父と母



食事はいつもとは内容も全く違い、オードブルスタイルのものでしたが、

ちょっと違う雰囲気がお祭り気分にもなって、父には良かったようです。



母は少し戸惑っているようでしたが、

自分のお皿に取り分けられると安心して食べていました。

母は普段の食事では早食いになってしまう傾向がありますが、

父も私も同席での食事のせいか、歓談しながらゆっくり味わって食べていました。


食後、父は予想通り、居室に戻ってしまいました^_^;

それでも、短時間でも一緒に楽しく過ごせて良かったです。




父は職員さんたちの出し物の寸劇は見れなかったので、

寸劇を終えた職員さんにお願いし、居室に寄ってもらいました。



その職員さんの姿から父は「水戸黄門」だとわかり、

かぶせてもらったカツラにも抵抗することなく、満面の笑顔を向けてくれました。


Photo_7  水戸黄門姿の職員さんと父



この職員さんは父を初めて行事に誘ってくださった職員さんです。

勤務体制が変わり、今は父に直接的に関わっていただくことは殆どなくなり、

父は名前も覚えてはいませんが、

自分のこだわりや想いをくみ取り、細やかに対応してくださっていたことはよく覚えています。



この満面の笑顔はそんな父の気持ちを表わしている気がして、私も嬉しかったです。



母はと言えば、寸劇の後のビンゴ大会にも参加しました。


Photo_8  ビンゴゲームを楽しむ母



ビンゴになるまで時間はかかりましたが、真剣に参加し、

ビンゴになった時にはとても大きな声で「ビンゴ!」と叫んでいました。




父も母もそれぞれに合った参加ができたことで、楽しい夏祭りになったと思います。




楽しく過ごすために計画される行事や日課が、

両親はじめ利用者さんたちにとって楽しいものになるかどうかは、

環境設定を含め細かい配慮や工夫があってこそだと私は思います。



それでも、突発的に何かが起きることもあるでしょう。

想定外のことも起きるかも知れません。



そんな時にも慌てずに対応するためには、本人たちの性格や気質などを把握し、

日頃から本人が安心して過ごすための配慮ある対応や

予定外のことが起きた時の伝え方や対応のしかたなどへの考慮と共に

信頼関係が必要なのだと思います。




これらは私自身の仕事や地域活動にも共通することです。




両親と共に楽しい夏祭りに参加し、

そんなことをいろいろ再認識できたことに感謝しています。



母はもう忘れてしまっていますが、

当日は「今日はお父ちゃんも来てくれた」と嬉しそうに話していました。


やっぱり、笑顔はいいなぁ!!(*^_^*)

2015年8月25日 (火)

空を見上げて

両親の暮すH館は静かな住宅街の中にあります。

どこのお宅のお庭もお手入れされていて、季節の花が咲いています。

外気浴も兼ねて散歩するのにとても良い環境です。

10分コース、15分コースなど…その日の母の気分に合わせて散歩をしています。



ただ、真夏は日差しもきつく、今年のように夕方でも気温が高いと

なかなか散歩ができません。



今日(24日)は涼しい風も吹いていて、日差しもきつくなかったので、

夕方散歩に出かけました。

散歩コースの畑の前にはホウセンカとケイトウが咲いていました。


Photo  ホウセンカとケイトウと母



ここではいつも写真を撮ります。

母も大好きな場所なのです。



実は、ここは季節ごとにお花が変わります。

以前、この畑の手入れをされていた方とお話をしました。

ちょうどヒマワリが真っ盛りの時でした。



畑の奥に野菜を育てていらっしゃるのですが、

この道を通る人たちに少しでも楽しんでもらえたらいいなぁという想いで、

道沿いにはお花を育て、季節ごとに植え替えをしているとのことでした。


Photo_2  菜の花と母



Photo_3  ヒメキンギョソウとポピーと母



Photo_4  ストロベリーキャンドルと母



Photo_5  ヒマワリと母



母と私の散歩コースの「大好きな場所」であることを伝えると、

とても喜んでくださいました。



そんなとっておきの場所で、今日は2人で背筋を伸ばし、空を見上げました。

その時、母が言いました「お月さまが出てる」と。

確かに、白い雲の間にお月さまが見えました。


Img_5952  お月さまが見えた(電信柱の右上方向)



まだお日さまも出ている時間です。

私たちはお日さまを背にして、お月さまを見ることができました。

とっても幸せな気分になりました(*^_^*)



Img_5951  空を見上げて



左の方角にあるお宅のアンテナにスズメがとまっているのも母が見つけました。

普段、どうしても背が丸くなってしまう傾向があるので、

空を見上げるっていいなぁと思いました。



母の表情も出かける前より、さわやかに見えました。

久しぶりの散歩で、母も気持ち良かったようです。


ほんの15分くらいの散歩でしたが、私も気分が晴れ晴れしました(^^♪


これから、少しずつ涼しくなってくると思うので、

また一緒に散歩に出かけようと思います。



2015年5月31日 (日)

介護も子育ても…



昨日に続いて、今日の朝日新聞の「折々のことば」もとてもタイムリーなものでした。


Img_5011  折々のことば(朝日新聞)




「ひとりで頑張らないで」「一緒に子育てしましょう」…


長年、たくさんの親子に関わらせていただいてきた中で、伝え続けてきているメッセージです。




実際に、親子の家庭生活そのものに直接入っていくわけではありません。


それでも、「共に生きる」という想いは昔からずっとぶれずに持ち続けているつもりです。






本格的に両親の介護をすることになった頃、

「1人で抱え込まないことが大事」というメッセージの重みを娘として痛感しました。





両親の場合、身体的なケアよりも精神的なケアが大きなウエイトを占めていたため、

私自身の精神状態を安定させておくことが必要不可欠でした。




そうは言っても、簡単なことではありませんでした。

私自身、些細なことでも情緒不安定になる傾向が強いからです。




精神的な不安定さが悪循環の輪に中に入ってしまうと、なかなか抜け出すことができません。




そんな時、当時担当だったケアマネさんは

「ご両親だけでなく、ご家族も辛くならないようにお手伝いするのが私たちの仕事です」と

言ってくださいました。





私が対応できない時には、夜間であっても、両親のSOSに対応してくださったケアマネさんです。

本当に心強く、安心できる存在でした。





その後、担当のケアマネさんは変わりましたが、

両親が暮すH館の職員さんたちはもちろん、

訪問診療や訪問リハビリ、訪問マッサージの担当者の方たちなど、

たくさんの人たちに支えられ、助けていただいています。


Photo   父と母の笑顔のツーショット





このコラムに書かれていることばを借りれば、

私たちのまわりには「手」がたっぷりあります。




そんなたくさんの温かな「手」があるからこそ、

両親も私たちも安心して暮せているのです。




そんな暮らしをするためには

「ひとは、1人が別の1人の面倒をそっくりみるようにはできていません」という考え方を

自分自身がしっかりと持つことが大事なのだと思います。




子育てに悩み、苦しんでいるお母さんやお父さんたちにも、

今あらためて、同じメッセージを伝えたい…心から思っています。

2015年5月22日 (金)

母のナースコール


母はアパートに住んでいた頃(認知症になる前)、

ふとんに入っても眠れない時や夜間に目が覚めてしまった時には不安感が増すのか、

私の携帯に電話をかけてくることがよくありました。

特に、思い悩んでいることがある時はそんな電話が多かったです。



深夜の電話でも、母の話を聞き、受け応えしていました。


母の声の様子から、その時の精神状態はある程度把握できました。

状況によっては、深夜でも山ねこに車を出してもらい、アパートに行くこともありましたが、

母の方から「話をしているうちに落ち着いてきた。安心した(*^_^*)」と言って

電話を切ることもありました。




母は元々情緒不安定なところがあったので、

日中・夜間を問わず「話しているだけで落ち着く」ということは「母の日常」でした。




H館に入居した当初も、夜間帯は母から電話がかかることがよくありました。



そういう意味では、母の携帯は「私からの安心を得るお守り」のようなものでした。

3つの短縮ダイヤルは全部私宛にしてありました。



そんなお守りのような携帯が認知症の進行に伴って様変わりしてきました。

ナースコールと携帯の使い方の混同が増えたのです。




私宛に電話をかけてきても何も返答しません。

ナースコールと勘違いしているようで、職員さんが来てくれると思って待っているようなのです。



ナースコールを受けて訪室してくださる職員さんが、

ナースコールに向かって電話のように母が話している姿をみることもあったそうです。



母の携帯の履歴を見ると、ランダムな数字が並んでいることもありました。

短縮ダイヤル以外使うことのなかった母が適当にダイヤルしているようでした。

たまたま繋がってしまった相手の方に、つじつまの合わない話をしている録音履歴もありました。




そういうことが増えたことを機に、母には携帯を持たせられなくなりました。



お守りとしての携帯を取り上げるのはかわいそうな気もしましたが、職員さんと相談し、

「困った時はナースコール」と「SOS対応の道具」を一本化する方が

母の混乱も防げると考えて決めました。




それ以来、母はナースコールを混乱なく使えるようになりました。




ただ、私への夜間の電話はなくなったものの、

トイレ介助のSOSだけでなく不安な時にも使うため、

当初は「ナースコール握りっぱなし」「ナースコール押しっぱなし」も多く、

夜勤の職員さんたちにはとても負担をかけていました。




当時のことを振り返ると、母の立場に立てばやむを得ないこととは言え、

職員さんたちには申し訳ない気持ちでいっぱいでした。




H館では職員さんたちと家族とで話し合いができる時間を持っていただけることが多く、

その都度、どういう対応をすれば、

本人はもちろん、職員さんたちも家族も負担が減らせるかという策を考えてきました。




いわゆる不穏や奇行といった言動を見せる母を「問題のある人」と捉えず、

「どんな言動にも必ず理由がある」「きっかけになる原因がある」と

理由や原因を一緒に考えてもらえることで、母が救われ、私たち家族も救われるのです。




最近特に、介護施設等での対応が社会問題になることがありますが、

前向きな対応策を一緒に考えてもらえる環境に恵まれていることに感謝しています。




ここで話を「母のナースコール」に戻します。



最近、母のナースコールの調子が悪くなったり、壊れたりすることが増えました^_^;

壊れた理由は職員さんも私たちも予想していた通り、

母がナースコールを振り回したり、ベッド柵に打ちつけたりすることがあったからです。




ある日、私が目撃した時は、コールスイッチを押さず、

ナースコールをベッドの柵に打ちつけて「トイレに連れていってください」と言っていたのです。

コールスイッチを押すという使い方がわからなかったのです。



母にとっては大事なSOSの道具なので、ないと困ります。

すぐに新調し、壊れたものを山ねこが分解して点検しました。

ナースコールはプラスティックでできているので、

ベッド柵に打ちつけた時に割れたかけらが中に詰まっていたのです(-_-;)

そのため、コールスイッチが押しっぱなし状態になっていたのです。



原因がわかり、修理が完了しました。

ナースコールを打ちつけても割れ難いように、握り部分に伸縮包帯を巻きつけて貼りました。

母が手触りの違和感を感じて、嫌がらないように配慮して…(^^)

Photo_3  伸縮包帯を巻きつけたナースコール



その後、また壊れました(-_-;)


使えるものと交換し、壊れたものをまた分解し点検しました。

この時の故障の原因は根元のコードの断線とショートでした。

スイッチ部分も壊れていました。

Photo_4  分解したナースコール




乱暴な扱いも増えているのかも知れません^_^;

もちろん、意図的ではありません。


母にとっては大事なSOSの道具ですし、正しく使えている時もあります。



こうした対応はいたちごっこのようなところもありますが、修理して使えれば良いのです。

どうしても壊れたら新調すれば良いのです。




不穏だったという報告を受けると、正直なところ、辛くなります。

でも、一番辛いのは母自身です。

他の場面でも、母は行動の手順や道具の使い方を聞くことがよくあります。




日々の生活の中でいろいろなことがわからなくなる不安…。

覚えていられなくて、訳がわからなくなる不安…。

たくさんの不安の中で生きているのだと思います。

ある意味、自分自身との闘いとも言えます。



母の不安や闘いを思うと、私たちが手助けできることを考えるのはとても大事なことだと痛感します。




不穏や奇行という行動も「安心感」のある環境では減ります。


私たち家族だけでなく、日々接してくださっている職員さんたちも、両親だけでなく、

他の利用者さんたちのために「安心感という環境」をいかに整えていくかを考えていらっしゃいます。




「母のナースコール」から私たちが教えられること、学ぶことはまだまだたくさんありそうです。




ちなみに、母は1人で立ち歩くことはできませんが、ベッドから起き上がることはできます。

車いす生活になった当初は「立ち歩くことはできない」という

自分自身の身体状態の認識ができないために、ベッドから起き上がってしまうことも多かったのです。



万が一、柵を持って立ち上がってしまうようなことがあると転倒しかねません。

そのため、すぐに危険防止対策をしました。

今でも有効な対応策として使っています。


それについては、また次の機会にお話したいと思っています。



危険防止対策は事故が起きてからではなく、いろいろなことを想定して考えておくことが必要です。



日常生活の中には「まさか、そんなことをするとは思わなかった」ということがたくさんあります。



介護の世界でも観察力や想像力を高めることはとても重要なポイントだと思います。



私自身の学びとその実践はまだまだ続きます。

私を学び続けさせてくれる両親の存在は大きく、

人生の先輩として私たちを導いてくれていることに心から感謝しています。

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